べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

意味を求めることの無意味さ

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何をするにしても意味を求めてしまうと意欲をそがれてしまう。

 

意味ってなんだろう。

それこそ生きる意味ってさ。

そんなもんはあとからついてくるんだろう。

求めるだけ無駄。

確かにそうなのかも知れない。

 

ギター弾く意味って何だろう。

音楽を聴く意味って何だろう。

人生の目的とは何だろう。

人を愛する意味って何だろう。

 

何かやりたいことやなりたいものがあったとして、それらを何のためにやるのだろう。

多分僕が求めているものは自身の価値が高まるかどうかなんじゃないかと。
承認欲求が捨てきれないというのもある。

楽器の演奏も好きだし、音楽も好きだし、本の虫とまでは言わないけど読書も好きだ。

それらが好きだって言うのもあるけど、それらをやっている自分が好きといったある種のナルシズムもあるんだと思う。

でも、それらは別に直接的に僕の価値を高めているのかというと、その実感がどうにも持てない。

別に難しいこと考えずにやりたきゃやればいいだけのことなんだけどさ。

ぐずぐず悩んで何もしないことこそ無意味なんだ。

わかっちゃいるんだけどさ。

 

今の僕は、「やりたいこと」と「やるべきこと」が合致していない。

今ある「やるべきこと」も本来は「やりたかったこと」の一つなんだけど、人から強要されて「やるべきこと」になってしまうとやはり楽しくなくなった。

就職する前は英語の勉強や自己啓発本を読み漁ることも比較的楽しくできていた。

むしろ頑張っている自分がかっこいいとさえ思っていた。

単純に自分が頑張りたいから頑張っていただけで、その頑張りの結果が晴れて就職という形に結びついた。5年間のブランクがあるのにも拘わらずだ。

誰に強要されたわけでもなく、自分の考えで行動を起こして頑張ったら結果がついてきただけだ。

だからこそ頑張れたというのはある。

 

ところが人から頑張りを強要された途端に物事がつまらなくなる。

それは結果を出すことを前提に物事を進めていかなくてはならなくなるからである。

頑張ることがデフォ。

頑張ってようやくプラマイゼロ。

結果が出てようやくプラス。

全ては考え方次第なんだけど、これではやはりしんどい。

でもお金をもらうってそういうことだよね。

いくら会社員がクソだからといって、仮に運よく独立できたとしても期待に応えなくてはいけないという点では同じだ。

金銭に見合った対価、サービスを提供しなくてはならない。

 

考える時間が欲しい。

いや、時間ならあるはずだ。

ただそれを無駄に浪費しているだけであって。

 

音楽も強要されたらやはりつまらなくなるのだろうか。

何事も楽しいだけではやっていけない。

成功者の中には「楽しいだけでもやっていける」と言っている人もいるけど、そういう人はつまらない物事の中にも楽しみを見出すのがうまいか、あるいは真の大ほら吹きかのどちらかだろう。

でも僕にとっては、つまらんものはつまらん。

くだらんものはくだらん。

 

今本読んでも「これに何の意味があるんだろう」

今ギター弾いても「これに何の意味があるんだろう」

「意味のあることをしなきゃ」

「意味のあることってなんだろう」

などと悶々と考えているうちに、何もせず、それこそ無意味に今日も一日を終えるのであった。

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