べたれば

better late than never→略してべたれば。遅くてもやらないよりマシ。元ひきこもりの雑記。

肴の味と調和

友達百人できるかな。そんなにいないよごめんなさい。
大学上がりのチェケラッチョ。ちんちんぶらぶらソーセージ。

 

友達の定義に悩まされることがある。

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ともだち

 

世の中には友達が多いことが正義とされる風潮がなきにしもあらず。

友達の数が戦闘力に直結し、その数でマウントをとる輩が稀にだがよくいる。
よって人類みなきょうだいレベルの人だと、戦闘力70億になるわけで、それこそフリーザ様どころの話じゃなくなる。

 

僕の場合、結論から言ってしまえば、数は少なくとも心を許して本音で語りあえる人が数人いれば十分なわけであって。
5人とか10人とかでも多い方だと思っている。
例え、ラディッツに「ゴミめ」と罵られたとしてもだ。

本音で語り合うに値するかどうか(やや傲慢に響くかもしれないけれど)は、一緒に楽しいお酒が飲めるかどうか。
その酒の肴がおいしいかどうかにかかってくる。

それがおいしい人は友達と言っても差し支えないのかもしれない(相手がどう思っているかは別として)。

 

仲が良い(あるいは良さそうに見える)ということ、それすなわち友達かというと、いささか懐疑的にならざるを得ない。
例えば、僕の会社から派遣されていて同じ現場で働いている同僚が一人いるのだが、(申し訳ないけれど)彼のことを友達とは思っていない。
方向が一緒ということもあり、彼はいつも僕と一緒に帰りたがり、本社に帰るときや飲み会の帰りもいつも行動をともにしたがる。
そのお陰で僕が周りに馴染めたという感謝の気持ちはあるにしても、僕の方から彼と積極的に行動をともにしようとは微塵も思わない。

むしろ一人にしてほしいのである。
一緒にいても楽しくないから。
上司や会社の愚痴と自分の仕事がいかに大変かを(本人にそのつもりがないにしても)自慢気に語ってくるので、結構疲れるのである。
前にも似たようなことは書いた↓

www.johnrtylor.com

 

別に人の愚痴を聞きたくないわけではない。
僕だって愚痴は言うし同じ目線で愚痴を言い合える相手がいるということは、精神衛生上有効なストレス発散手段の一つだと思っている。

傷のなめ合いと言えばそうかもしれないけれど、そのお陰で明日からも頑張ろうという気持ちが芽生えるのであれば何ら悪いことではない。

そう、結局のところ僕にとって友達(あるいは相手も友達だと思ってくれる)であることが嬉しいと思える相手というのは、お互いを理解しようという譲歩の気持ちが見えるかどうかなんだ。本人がそれを意図しているかどうかは別として。
自分本位で愚痴を垂れ流すだけの人は、やっぱり疲れちゃう。

 

話が長くなったけれども、少し前に会社の先輩(歳は僕の3つ下)に誘われて、遊びに行ってお酒を飲んで解散したのだけれど、とても楽しかったのよ。(相手がどうかは知らん)

会社や世の中に対する愚痴をいろいろと言い合ったのだけれど、共感できる部分がたくさんあったし、調和のようなものを少なくとも僕はその会話の中に見出していた。

調和って大事。分かり合えることって大事。同じ目線で話ができるって大事。
そういう人が友達、あるいは友達の候補(というと上から目線感がぬぐえないけれど)となりえるのだなあと思いました。

一見、深く考えているようである種、一般論に帰結した感は否めませんが、まあ私の脳みそなんてその程度でごわす。

脳みその出来の悪さを挽回すべく、最後に頭良さそうなこと言って終わりたいと思います。

 

おっぱい。

 

おやすみなさい。