better late than never

略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

ひきこもり生活の始まりと失声症

こんばんは、ジョン(@johnrtylor)です。

昨日は僕がなぜ引きこもったのかについてのきっかけについて書きました。

今日は引きこもったその後を書いていきたいと思います。

 

誰にも相談できないつらさ

自分の人生に絶望し、仕事にも行かずただ寝て過ごすだけの毎日が始まりました。

ひきこもる前に誰かに相談できていればよかったのかも知れませんが、当時の僕にはそんなことを考える余裕もありませんでした。

いや、考えることはできたんだけど誰かに頼ってはいけないという気持ちが強すぎて誰にも自分の気持ちを吐露することができなかっただけかもしれません。

そのころの僕の実家は経済的に厳しく(今も変わらず厳しいですが(笑))、両親も僕の金銭的援助をアテにしていたため、「育ててもらった恩を返す時だ」と家族を助けるべく僕も大見得を切って「俺がなんとかするから任せろ」と意気込んでしまった手前、家族に対して弱音を吐くことなんてとてもじゃないけどできませんでした。

同時に誰かに話したところで「みんな同じだよ」「つらいのは君だけじゃないんだよ」と言われそうな気がして誰にも胸の内を打ち明けることができずにいました。

しかし、風船が破裂するまでに入れられる空気の量が決まっているのと同じように、僕がストレスを受け止められる量も決まっていたんだと思います(僕の風船は紙風船ほどの大きさと強度しか持ち合わせていませんけど)。

 

失声症のつらさとその克服

誰にも胸中を打ち明けられないつらさは気が付けば失声症という形となって表れます。

ふさぎ込んで誰とも話さなくなる日々が続くと、体が声の出し方を忘れてしまうのか、全くしゃべることができなくなりました。

家族も心配なもんで「どうしたの?」とか聞いてくるのですが、弱音を吐きだせない状況(あるいは吐き出してはいけないという気持ち)が症状の進行に更に拍車をかけていきました。

家族とは常に筆談でしたが、書くのには時間がかかるし、自分の意図がうまく伝わらなくてお互いにフラストレーションが溜まることが頻繁にありました。

絶対に声が出せないというわけでもなく、ごくたまに(それこそ数えれば片手の指で足りるほどの回数ですが)心配して訪ねてきてくれた友人たちに外に連れ出されたときなどは、言葉をふり絞りながらではありましたが、普通に会話をすることができました。

そう、僕の失声症は家族だけに対してのものだったんです。

ただ、それなら話は早く家族に対しての失声症をどのように治していくかを考えればいいだけです。

僕の場合は荒療治に出ました。

仲の良い友人(家族とも面識があります)1人に立ち会ってもらい、僕が話せるように謝罪の場を設けてもらいました。

第一声を発するまでにだいぶ時間を要しましたが、「いままで心配かけてごめん、これからは仕事を見つけて社会に復帰できるように頑張るから。」というようなことを言いました。

家族も黙って優しくうなずいてくれました。

それからの僕は徐々に口数も増えていき、普通に冗談を言えるほどまでに状態が回復していきました。

ここまで回復するのに3年の月日を要しました。

 

つづく

Copyright Ⓒbetter late than never All Rights Reserved.