better late than never

5年間引きこもった末にようやく社会復帰。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

失声症の克服ーそして精神科へー

こんばんは、ジョン(@johnrtylor)です。

ブログ用にツイッターのアカウントを作ったんですが、みんながやっているようなリンクの貼り方がわからずに、とりあえず形だけそれっぽく(@johnrtylor)と書いています。

恥ずかしいですが、やり方がわかったらそこは直します(笑)

※直しました。2017/7/11

 

さて、前回は失声症を克服したところまで書きました。

今日は克服したその後について書いていきます。

 

失声症克服とその後

僕にとっての一番の問題であった失声症は克服されました。

しかしそこから社会復帰するまでに2年かかりました。

ではなぜそこまでの時間を要したのでしょうか。

 

失声症の克服後、具体的に何をしていたかというと、ずっと野球ばかりみていました。

日米問わず朝はメジャーリーグ、夜はプロ野球高校野球のシーズンには昼間も甲子園はほぼ全試合見ていました。

一番の難関をクリアできたことはよかったんですが、如何せん次の一歩を踏み出す勇気ときっかけを掴めずにダラダラとその2年間を過ごしました。

 

精神科受診の提案

ある日母が僕に精神科の受診を提案してきました。

僕も前々から行きたいと思っていたのですが、以前父に発達障害の存在や精神科の受診について相談したところ

「お前は頭も良いんだし、普通にしてればやってけるんだから余計なことは考えなくていい」

父なりの優しさだったんでしょうが、これは僕にとっては逆効果でした。

僕にはその言葉が、考えること、現実と向き合うことを放棄しているように聞こえました。

要するに誰しも自分の子供に障害があるなんてことは認めたくないですよね?

僕の父もその例外ではないとはっきりと言い切れます。それは父だけではなく母にも同じことが言えます。

発達障害云々の話になると2人ともあからさまに機嫌が悪くなります。

でも、ちょっと待てよと僕は言いたい。

今思えば、僕にとって一番大事だったことは障害があるかないかじゃなくて、障害のあるなしにかかわらずこれからどうすべきかを明確にすることなんです。

そのための第一歩として精神科に行くことによって、自分という人間がどういうものなのかを知ることはとても意義のある事のように感じていました。

あの時母からの提案がなければ、僕はいまだにひきこもっていたかもしれません。

 

いざ精神科へ

後日母と姉(姉はこの日のために車を出してくれました)と僕の3人で精神科を受診しました。

診察室に呼ばれ姉と母の立会いの下、僕の子供のころからの生い立ちから今抱えている悩みまで洗いざらい先生にぶちまけてきました。

多分2時間くらいしゃべり倒したと思います。

問診の末、先生が下した結論は

「恐らく発達障害である可能性は低い」

とのことでした。

恐らくというのは、発達障害特有の落ち着きのなさや話し方に特に異常がみられないので、すぐに判断を下すのは難しいそうです。

とらえようによっては、「個性の一部」で片付けられなくもない程度のものだそうです。

発達障害は血圧や血糖値などと違って、診断に明確な数値が表れるわけではないので、結局本人がどうしたいかに最終的には委ねるしかないらしく、

先生も「どうしてもということであれば薬を出すこともできるけど、薬を飲んだからといって解決するものでもないし、あなたは飲む必要はないと思うからおすすめはしません。」

僕も薬には頼りたくなかったので、先生のその言葉には同意しました。

先生の計らいで念のため採血と脳のCTスキャンや心電図のチェックなどを無料でやってくれましたが、検査の結果も異状なし。(身長も測りましたがなぜか1センチ伸びてました。寝る子は育つ???)

この結果について僕は良いとも悪いとも思いませんでした。

結局僕が求めていたものは発達障害であるかどうかではなく、その後の具体的な指針だったんです。

先生もそれについては頭を抱えていましたが、「打開の糸口になるかはわからないけど、ひきこもりの社会復帰を支援している施設があるから一度そこに行ってみてはどうですか?」と提案してくれました。

 

兎にも角にも手掛かりが何もないまま前には進めないので、僕は紹介してくれたその施設に通ってみることにしました。

 

つづく

Copyright Ⓒbetter late than never All Rights Reserved.