べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

32歳の元ひきこもりが母への愛憎を語る

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ジョン(@johnrtylor)です。

みなさん、お母さんは大好きですか。
このブログを読んでいる人はひねくれている人が少なくないと予測しますので、そうじゃないという方も多いかも知れません。

僕は大好きです。
愛しています。
マザコンと言われても構わない。

母は間違いなく毒親だし、嫌いな部分、憎んでいるところもたくさんあるけれど、それでも愛さずにはいられない。

この愛には半ば同情の念も込められているかも知れません。

 

僕の母の人生はそれこそ波乱万丈と言っていいと思います。
小学生のころから両親は家に帰ってこず(片親じゃなくて両親ですよ?)、たまに父親が返ってきたと思ったら意味もなく殴られる。
そして最低限暮らしていけるだけの金だけ置いてまた出ていく。

そんな年端もいかぬいたいけな少女のころから、母は弟の面倒を見ながら家事をこなして必死に生きてきたのです。

僕は自分が子供のころから何度もこの話を母から聞かされてきました。
涙ながらに「私の人生は最低だった」と。
大抵この話をするときは酔っているときなので、もしかしたら大なり小なり脚色があるかもしれません。
真実は母のみぞ知るところです。

しかし、仮に話が盛られていたにしろ、ひどい話であることに変わりはありません。
(後に両親は離婚をして母親(僕の祖母)が帰ってきたとかだったと思います。詳しくは覚えていませんが。)

聞けば母もひきこもりがちな十代を過ごしたんだとか。
家にこもって夜遅くまで漫画ばかり描いて、朝起きられずに母親(祖母)にたたき起こされて学校へ行くといったような。

血は争えないというか(笑)
僕も小学校高学年から中学時代は、夜遅くまでラジオを聴いて朝起きられずに学校を休んでばかりいました。
ミリオンナイツとか西川貴教のオールナイトニッポンとか、ゆずのオールナイトニッポンとか、ナインティナインのオールナイトニッポンとか、aikoのオールナイトニッポンとか。(主にANNばっかだな(笑))
ANNのお陰で多感な時期に学校へ行かずともくだらない下ネタを覚え、見事エロガキに育ちました。
ANNと言えば、西川貴教のANN生放送中に911が起こったのは今でも鮮明に覚えています。

あの頃はモー娘。が全盛期でなっちがお気に入りだった僕は部屋にポスターを張ったりと、見事に歴史を黒く塗りつぶしていた時期でしたね。

小学校高学年から中学にかけて聴いていたのは主にT.M.Revolution、Mr.Children、スピッツ、SPEED、MAX、Shazna、B'z、the Brilliant Green、Puffy、安室奈美恵、エレファントカシマシ、ウルフルズ、GLAY、L'Arc-en-Ciel、Snail Ramp、SMAP、サザンオールスターズ、ポルノグラフィティ、宇多田ヒカルなどなど挙げればキリがありませんが、当時は「HEY!HEY!HEY!」とか「うたばん」とか「ミュージックステーション」は毎週録画してテレビにかじりつくようにして見ていたのを覚えています。
当時は宇多田がテレビに出るだけで大騒ぎで視聴率も「SMAP×SMAP」出演時に33.5%を記録したそうです。*1
洋楽はThe Beatlesと丁度アルマゲドンが流行った時期なので、AerosmithのI don't want to miss a thingの入った洋楽のコンピレーションなんかをよく聞いていました。
そのコンピには確かBonJoviとかJamiroquaiとかMriah Careyとかが入ってたんじゃないかなあ。

 

えーっと、話がクッソ脱線しましたが、母は漫画オタクで僕は音楽オタクと、親子仲良くオタクになりましたという話です。(なんかちげーな…)

 最近そんな母がなんだかとても愛おしいのです。
マザコンとか気持ち悪いとか、なんと言われようともそういう気持ちがあるという事実は曲げられないのです。

劣悪な環境で育ったもんだからひねくれているし、悪態ばっかついてるけど戦争孤児とか北朝鮮の人々の実情を見て涙するような本当はとても心の優しい人だし、僕は母から一度たりとも暴力を振るわれたことはありません。(強いて言えば、3歳くらいの時に歯磨きしなくて無理やり押さえつけられたことぐらいかな)

彼女の人生はほとんどすべて僕に捧げられていたと言っても過言ではありません。

そんな母も還暦を過ぎてとてもやせ細りました。
一度がんを患い、腸の病気にもかかり、それでもなお、酒とたばこに溺れて毎晩支離滅裂な暴言を吐いています。
そして翌朝には何も覚えていません。

それでもこれまで僕にしてくれたこと、今でもしてくれていることには感謝で胸がいっぱいなのです。

取り越し苦労ならいいのですが、生い先そんなに長くないんじゃないかと最近思っています。
そう思うからこそ何かしてやれることがないかと思うわけです。
ツイッターでもつぶやきましたが、映画Knockin' on Heaven's Doorのワンシーンにあったようなキャデラックをプレゼントするくらいでかいことを本当はしてあげたいですが、無い袖は振れません。

時間を作ってあげたい。
これまでずっとつらい人生だったろうし、子供のころからひきこもってばっかりで苦労をかけたから、せめて人生の最後の方は幸せだったと思わせてあげたい。
家事の一つでも手伝ってあげればいいのでしょう。
でも「やる」とは決めたくない。
「やらなかった時」「できなかった時」の罪悪感がすごいから。
なんとちっぽけな男よ。なんとでも言うがいいさ。

その罪滅ぼしと言ってはなんですが、実家の引っ越しの資金は出してあげることにしました。
年内にそのお金を貯めることを目標として、年始には引っ越したいです。
もう少し家賃が安くて、母の職場に近いところへ引っ越せるように。
そうすれば、母にかかる負担も少しは軽減できるでしょう。
ゆくゆくは大好きな絵を思う存分描かせてあげられるようになるといいけど、果たしてそんなに時間が残されているだろうか…
ブログもやりたいと言っていた。
何を隠そう今このブログを書いているPCは母がブログを書くために買ったものなのだ。
とんだクズ息子ですね。

酩酊した母は相手するに値しないほどクズで面倒だし、冷たくあしらってしまうこともあるかも知れないけど、いずれにしても一日一日、まだかろうじて元気なうちに、後悔のないように接して行けるようにしたいです。

以上、クズ息子の独り言でした。

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