べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

不感症のゾウさんのように

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さあさあ今宵もお待ちかね、不孝自慢の時間がやってまいりました。

人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、僕の不幸が世の中の誰かの幸せにつながればそれだけで僕は幸せだなと思うのです。

 

人生ってタフよね。
人生楽しー!ウヒョー!えなりえなりえなり!って思える人と鬱だ、死のうって思っているひとでどちらが多いかと言えばもちろん後者の方が多いわけで。(少なくとも僕の人生で出会った人達には後者の方が多い)

根拠はないけれども、インターネットに限定して言ってしまえば、ネガティブな叫びの方が圧倒的に多いと体感的に思います。

一時期より減少傾向にあるとは言え、未だに2万人を超える人が毎年自殺している日本ってどうかしてるぜ。(先進国の中で10万人あたりの自殺率は、ロシアに次いで僅差の2位だ)

 

つらいのはみんな一緒。
誰もが大なり小なり心に闇を抱えて生きている。きっとそうだ。

その闇を抱えながらもこの世を渡り歩いていかねばならぬ。
どこにも救いがない時だってある。

 

仕事で疲れて帰ってきてアル中の相手してさ。
悩みを打ち明けられる人も身近にはいないし、言ったところで「そっか大変だね」で終わるだけだし何の解決にもならんし。

だからそういう胸の内に秘めた思いを、うまいこと自分の中で消化しながら生きていくしかないのです。

一人で生きていく強さを身に付けなくてはならない。
孤独で平穏な人生を手に入れるまで戦い続けるしかない。

僕にとって何も感じないように努めるということは、正気を保つための最善の手段だ。
例え誰からも愛してもらえなくても、誰が何を思おうとも、どうだっていいのだ。
もちろんそれはつらく悲しいことだけれど、でも最近はそれが当たり前なんだと思うようにしている。

人の顔色は窺いっぱなしだけど、それも自分だと思って受け入れてやれれば、少しは気持ちが楽になる。
無理に強くなろうと思いすぎないことで、逆に気持ちを強く保てるんじゃないかと近頃よく思う。

誰も僕に興味なんかないし、最終的には助けてくれない。(優しくて助けてくれる人に囲まれているし、多大なる感謝の念を抱いているけれど)
自分の人生に興味があるのは自分だけでいいんだ。そして自分を助けられるのも最終的には自分だけなんだ。

 

人に期待しないこと。
誰も僕のことを愛してくれないこと。(もちろんそんなことはないのだけれど)
それが当たり前なんだと思えると、逆に楽な気持ちになれる。
すごくネガティブに響くかもしれないけれど、僕はいたってポジティブだ。

これが今の僕にとって、生きるための処世術なのだから。
生きていくということに対して至極真っ当にあがいている。

 

死にたい、消えてしまいたい。
多崎つくるよろしく四六時中死について考え続けるときだってある。

それでも生きていきたい。
将来訪れるであろう平穏な毎日に向けて。
その保証はないにしても、永遠に訪れないという保証だってないわけだ。
だからそのわずかな可能性に賭けて日々を生き抜こう。
そのための努力は怠ってはならない。

 

今の僕に必要なのは、ナウマンゾウのごときスケールのでかい愚鈍さである。
槍で刺されようが石斧で殴打されようがなんてことはないのだ。
目の前に立ちはだかるものは、何だって踏みつぶしちゃうぞ。
ぱおーん。

 

今日の一曲↓

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醜さばかりが目立つ世の中ですが、もちろん美しさも同時に持ち合わせているのです。
それは愛であり、憎悪であるのです。
煙になって気ままに空を飛ぶのはまだ先の話。
今は目の裏側でこぼれたミルクで喉を潤し、また歩き出すのです。

おやすみなさい。

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

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