better late than never

略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

自分の言葉に責任を持たないことも大切

僕は自分の言葉に責任を持って生きたいという気持ちが強いです。
なぜかはわかりませんが、そうすることによって人から誠実な人物であるという認識を得たいからだと思います。

誠実であることの意義がどこにあるのかはわかりませんが、とにかく誠実であるということがある種、僕の中にある一つの正義なんだと思います。
世の道徳としてそれが正しいことだというのと同じように。

実際に僕が誠実であるかどうかはさておき、極力自分の言葉には責任を持とうと努めているのですが、過剰にそう試みることによって話が回りくどくなり、相手に僕の言葉があまり響いていない気がすることがあります。
「自分が言ったことに間違いがあってはいけない」
「間違いがあった結果相手が不利益を被ることを避けたい」
「その結果相手に嫌われたくない」

という気持ちが強すぎるが故に、僕の主張が持つ本来の力強さのようなものが損なわれているような気がするのです。

他人に目を向けてみると、多くの人はそんなことを考えずに自分の言いたいことを言っていると思います。
相手の意見を尊重するよりも、自分の意見を押し通すことに意識があるような。(あるいは無意識にそれができている)

そして、そういった人たちの言葉には力強さがあります。どんなにその主張が理に適っていなかったとしても、妙な説得力を孕んでいることがあります。
自分が言ったことに対して責任を取ろうという気持ちが強ければ、そこまで強く自分の意見を主張することはできないと思うんです。

大げさですが、「もし自分の一言のせいで、この人の人生が破滅したらどうしよう」などといった考えは、そういった人々には皆無なんです。

それが良いか悪いかは別として、時に自分の主張を貫きたいのなら、無責任であることも必要だなと思うんです。
あるいは、主張を貫いたその先の全責任をすべて引き受ける覚悟を持てる精神的な強さを身に着けるか。

このどちらか。

僕の場合は、責任を持ちたいと思いながら、発言が言い訳がましくなり、主張を弱くすることによって責任を放棄しているのかも知れません。
誰も傷つけず、自分も傷つかないように。
しかしそういった原理の下行動している人には、刺激がないし一緒にいても楽しくないことも多々あります。

理想は自分の主張を通しつつ、責任を持つということですが、これには強靭なメンタルや意思、信念の強さが必要です。

それができるようになるには、自分自身を信じるということが大前提として挙げられます。
僕がなぜ自分を信じられないのかというと、成功体験が非常に少なく、挫折した経験でキャンバスを塗りつぶす方がはるかに容易だからです。
これを改善するためには、何度失敗しようともそこから学び、それを次に活かし成功へつなげるというトライアル&エラーの連続に体と心を慣らしていかなくてはいけません。
そのための強い精神力を身につけなくてはなりません。

じゃあその強い精神力ってどこに売ってるの?
ドンキにはある?アマゾンでポチれる?

どこにも売ってねーじゃねーか!

かの伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンが十字路で悪魔に魂を売ってギターのテクニックを得たように、どこかの十字路でそれに出会えればいいのにね。

そんなお伽噺を信じても現実は変えられないので、自分に自信をつけられるように努力を重ねるしかないですね。
誰かかわいい女の子(本田翼を希望)が膝枕で今日も頑張ったねって言ってくれるだけで、なんでもできそうな気がするんだけどなあ。そんな娘が表れるはずもなく。
現実は非情である。

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