べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

「何もしない」をやっている

歳をとるとなぜ腰が重くなるのか。

僕の父を例に挙げれば、LINEはおろかスマホにすらめんどくさがって手を出さない。

しかし最近その気持ちがとてもよくわかる。
さすがに僕はスマホを持っているし、LINEもやっている。

ただ、新しいものに手を出すのが非常に億劫である。
決して興味がないわけではないし、むしろいろいろと新しいことに取り組みたいという思いは常に持ち続けている。

例えば、DTMをやってみたりとかもしたい。
Youtubeとかに自分の楽曲を上げてみたり。

しかしやろうやろうと思っていても、腰が重いのである。

一度手をつけてしまえば、堰を切ったように夢中になってすることもあるが、その手を付けるまでが非常にエネルギーのいることである。

その傾向は年々歳を重ねるごとに、より顕著に表れてくる。

なぜか。
時間がないのを言い訳にしがちだが、作ろうと思えばいくらでも作れるはずであろう。
幸か不幸か彼女もいないし、一緒に遊んでくれる友達もすくないので休みの日は大抵家で干物になっている。

何もする気が起きないのだ。

別にうつだというわけではないと思う。

歳を取ればとるほど自身の行動に意味を求めてしまいがちだ。

今話題の「生産性」というやつだ。
とりあえずLGBTじゃなくても、僕は結婚する気も子供を持つつもりもないから某女性議員は僕のことを殺せばいいんじゃないかな?彼女の定義にあてはめれば僕にも「生産性」ってやつはないのだから。
彼女が炎上してくれたことにより、彼女の記事を載せた週間誌はその一人の不幸により売上も上がってメシウマでしょうな。

えー、話が逸れました。
ギターを弾くこと、歌を歌うこと。
果たしてこれに何の意味があるのだろうかと。

本当は意味なんかなくても楽しければただやればいいだけだし、やること自体に既に意味があるはずなんだ。
ましてや、何もせずにぼーっとするだけで一日を終えるよりかは少なくとも何倍もマシだ。

しかし、エネルギーが湧いてこない。

今日はギターも弾いたし、作曲まがいのこともした。
FM7とCの繰り返しだけで32小節を埋めてそれをノートにメモするだけという小学生でもできるような非常にお粗末なものだが。

作曲のスキルを上げるために勉強もしたい。
もっとテクニックも磨きたい。

でも全く以て集中できない。
今やるべきことは本当にこれなのか。
今自分は本当は何をしなくてはならないのか。
ブログだってそうだ。書くのが遅いから、1000文字書くのに1時間くらい(あるいはそれ以上)かかる。今やってもいいことなのか。

資格の勉強やスキルアップのための自己研鑽をしなくてもいいのか。
部屋の片づけをしなくてもいいのか。

何もかもが面倒である。

年齢を重ねるごとに対処しなくてはならない問題が増えてくるから、それに蓋をして他のことに手をつけることの罪悪感のようなものもある。

時間が欲しい。
あったらあっただけ無駄にすることはわかっているけど。

考えがまとまらない。
やる気が出ない。

自分は何がしたいのか。
何になりたいのか。
何を求めているのか。

虚無感と無力感と焦燥感に苛まれて休日が終わる。
そして「何もしなかった」という罪悪感がとどめを刺しに来る。

思いついたことは考えずに何でも行動に移してしまえばいいのはわかっている。
しかし腰が重い。

平日に「休みの日はアレもしたいコレもしたい」といろいろと思いつくのに、いざ休みになると何にもしたくなくなる。

たぶん「何もしない」ことにも意味があるんだろう。
「自分は今何もしないをしている、これが今一番やりたいことなんだ」と自分に言い聞かせて、今日は何もしなかったんだ。
そういうことにしておこう。

多分、明日も何もしない。
なにもしない、ナニモシナイ、いなしもにな。

けだいたけぬきつ。

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