べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

30代の孤独との向き合い方

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数週間前にはてなでバズッた40代の孤独についての記事について思うことがあったので、それについて書いてみようと思う。

 

anond.hatelabo.jp

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qtamaki.hatenablog.com

 

僕はまだ30代前半だ。
だから自分が40代になったときに孤独とどう向き合っているのか見当がつかない。
あるいは孤独とは無縁の人生を送っているかも知れない。

今の僕は孤独とどう向き合っているだろうか。
孤独かそうじゃないかで言えば、孤独なんだと思う。

恋人もいないし休みの日はもっぱら家で干物のようにノビているか、泥のようにこんこんと眠り続けている。
気分が乗ればブログを書いたり、ギターを弾いたり、映画を見たり、本を読んだりするくらいだ。

外にはあまり出ない。
一緒に遊びに行くような友達もいない。

時間を共有し共感できる人が身近にいないということは寂しいっちゃ寂しいけど、一人でいられることにもまた僕にとっては大切なことなのである。

 

今の僕は孤独を愛することができている。
一人でいるということは寂しさもあるが、同時にとても気楽なのである。
なぜ孤独でも平気でいられるのかというと、一人でできることが好きで、それを自分のやれる範囲でやっているからだろうと思う。

ブログを書くことも、音楽も成果はまったく出てないけれども、まず前提としてやることに意義がある。
もちろん、たくさんの人が読んでくれてたくさんの人に共感してもらえたらそれに越したことはないけれども。

 

そしてこれは30代の僕が感じている孤独だ。
自分が40代になったときにこの孤独とどのように向き合っているのかはわからない。

30代故の余裕もあるのかもしれない。
恋愛だってしようと思えばできるし、若い方がやっぱり人はチヤホヤしてくれる。
そこに胡坐をかいているかと言えばたしかにそうだ。

歳を取ればとるほどその年齢相応の価値を人は人に求めがちだ。
「いい歳してそんなこともできないの?」みたいな考えを持っている人が大半なのではないかと僕は想像する。(事実僕が人生で出会ってきた人の過半数はそういう考えの持ち主である)

 

歳を重ねるごとに物理的に手に入らなくなる物も増えてくる。
そしてそれらのもの達は手に入らないと気付いた時点でその大切さに気付くのである。
そこにうまく自分の中で折り合いをつけられるかどうかで、孤独に対する考え方が大きく変わってくるのではないかと思う。

やはり30代には30代なりの手に入れがたい何かは存在していて、今のところ僕はそれらに対してうまく折り合いをつけて生きていられてる。
だから孤独に対して、そこまで悪いことではないと思えている。

ブログもDTMも30を過ぎてから始めたけど、興味のあることにどこまで首を突っ込むエネルギーを老いても尚、持ち続けられるかが孤独に負けない一つの処世術なのではないだろうか。

ポール・マッカートニーだって、今回のアルバムのレコーディングに最新機器も使ったと言及していたし。
新しいものに対して如何に柔軟な考えを持てるかどうかで、若々しさを保て、孤独との付き合い方も変えられると30代の若造は思うわけです。

 

 

できないもんはしょうがない。
今できることをやるかやらないか。
今というときにどれだけ真剣に向き合っていられるかどうかで、未来の自分の人生の価値(あるいは価値の捉え方)も決まってくるのだと思うのです。
ということで、今を真剣に生きるということはとても大切だなと思っている。

 

まあ、孤独を愛していながらもどうしようもなく人肌が恋しくなる時もあるけどね。
誰かを抱きしめたり抱きしめられたりしたいと死ぬほど思うことだってある。
淋しくて泣くことだってある。
でも、誰かと体を重ねるという行為が僕の人生で一番やりたいことではない。
お互いの全てを受け入れてお互いを思いやりながらお互いの体の隅から隅までに触れ合えるということは、何物にも代えがたい人生で体験できる最も美しい時間の一つであることは間違いないけれど。

ただそれ以外にもっとやりたいこと、大切なものがあると思えているうちは、孤独でも生きていけるんだと思う。
僕の場合は。

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