べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

死者に縛られる必要はない

f:id:JohnRTylor:20181105225042j:plain

縁起でもない、考えてもしようのないことを書きます。

 

もしあなたが最愛の人を失ったらどうするだろうか。

この場合、それを生涯の伴侶としましょう。

奥さんであろうが、旦那さんであろうが、ゲイの旦那さんであろうが、レズビアンの奥さんであろうがなんでもよいです。

とにかく、世間一般で言われる愛の対象とされる人物のことを思い浮かべてください。

 

そういう人がいない方は小諸市動物園の雌ライオン、ナナちゃんに思いを馳せましょう。

僕ですか?もちろんナナちゃんに思いを馳せます。

ということでおやすみなさい。

 

ZZZ…

 

 

 

 

 

 

おはようございます。

え?なんですか?まだいたんですか?

ああ、最愛の人の話でしたね。続けます。

 

子供や親と違って、極論を言ってしまえば、配偶者というのは替えがききますよね。

倫理的な話は抜きにして。

その「替え」を探さないにしても、その悲しみを背負って生きていくということはとてもつらいことだと思うのです。

多分ハルク・ホーガンほどのタフガイでも容易なことではないと思います。

 

じゃあ、突然たまたまあなたの前にその悲しみを和らげてくれる人が現れたら、あなたはその人と恋に落ちるだろうか。

それを是とするのか非とするのか。

 

僕はそれを是としても何ら問題ないと思っています。

相手がいないのにこんなことを言っても何の説得力もないのですが、でもそう思うんです。

愛する人を思い続けて孤独に生きていくのもまた美しいと思います。

賞賛に値する信条だと思います。(何か偉そうだな 笑)

それはその人の生きる道だし僕がとやかく言える問題じゃあない。

 

ただ、仮に(仮にだよ?)僕を心から愛してくれる人がいたとして、僕が突然に死んでしまったとしても、その人には自由に生きて欲しいなと思うんです。

僕のことを想い続け孤独を貫くことによってその人の人生や人間性が深みを増して、より豊かになるのなら、別に止めはしないけど、悲しみに打ちひしがれ続けながら生きていっては欲しくないのです。

人はそういった過去に縛られるべきではないと思うのです。

だから僕を忘れてもいいから自分の人生を謳歌していってほしいなと心から願うのです。

それこそが死んでいったものへの手向けではないのかと思うのです。

 

だから僕が死んでも悲しまないでください。

悲しんでもいいけどその悲しみを糧に前向きに生きてください。

愛すべき人がまた現れたらその人を心から愛してください。

過去に縛られずに生きてください。

 

と、僕は僕のことを愛してくれた(架空の)人に言いたい。だから最愛の人を亡くしても別に孤独である必要はないのだと思います。

まあ確かに逆の立場だったら「はい、そうですね」と簡単に鞍替えもできんけどさ(笑)

 

なんて相手もいないのに考えてしまった(笑)

一人身のくせしてこういうことリアルで言うと、十中ファック八九気持ち悪がられるけどね。いや、ネット上でもそうかもしれんけどさ。

読み返してみるとこいつ近々死ぬつもりなんじゃないかという文面だけど、そんなつもりは毛頭ないので心配ゴム用。

 

今度こそナナちゃんと、ほぼ丁度1年前、壮絶な闘病生活の末、糖尿病でこの世を去った最愛の猫に思いを馳せながら眠ります。縛られることなく、悲しみを糧に明日へ向かって。

おやすみなさい。

Copyright Ⓒべたれば All Rights Reserved.