べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

don't feel, think, and then feel

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ほわちゃー。ジョン(@johnrtylor)です。

かのブルース・リー師匠は言いました。

「Don't think, feel.」(考えるな感じろ)と。

でも僕は最近思うわけです。

「Don't feel, think, そしてfeel」と。

何が言いたいのかというと、この世の中で生きていくうえで鈍感であることは大切なことなんじゃないかと。
大切ではないにしても、鈍感だと生きやすいんじゃないかと。
つまり、感じやすいってことは生きにくいってこと。

特に気持ちが弱かったり傷つきやすい人にとっては、尚更。

僕はひきこもりを脱してからというもの、以前に比べて結構鈍感になれてきたんじゃないかと思います。

アドラー心理学にあるような「課題の分離」とでもいうんでしょうか。
「人は人、自分は自分。」
誰かが困っていて別に助けられなくても、それは自分の課題じゃないし、その人が乗り越えなければならない問題はその人が解決するべきだというような。

もちろん助けられるときは極力助けたいし、そうじゃないときはもっとやれたことがあったんじゃないかと、後悔や反省もします。
でも前ほど必要以上にそういうことに対して深く落ち込むことがなくなってきました。

助けられなかったのはなぜなのか、あるいは助ける必要があったのかどうか。
じゃあ同じような状況で次に自分はどうするか。
それだけ考えられればいいなと今は思っています。

過去は過去でもう変えられないし、その過去にどう意味付けをして未来に活かしていくのかが大事というか。(このへんはだいぶアドラー本の影響を受けたかも知れません。)

必要以上に誰かの助けになろうとして、自分の心が押しつぶされてしまわないように、その辺の気持ちのコントロールが前よりも少しうまくなった気がします。
うまいか下手かで言えば依然ド下手ですが、前よりもだいぶマシにはなりました。

身近な例を挙げると両親に対してでしょうか。
以前はひきこもっていてたくさん迷惑をかけて申し訳ないという気持ちがすごくあったのだけれど、(一応今もありますが)必要以上にそこに申し訳なさを感じてもただつらいだけなんですよね。
それと両親は両親で金銭的な面とか、自分の時間がなかったりとか、大変そうだし助けてあげたいという気持ちもあるんですが、いくら言っても酒癖は治らないし今抱えている金銭的な問題とかなんやかやに話し合いの場を持つなり、真剣に向き合おうという姿勢が見えないので、そこを僕がとやかく言って体力を消耗するのも無駄な事なんだと悟ることができました。

だから感謝はしているけど尊敬はしていません。

例えば、明日両親のどちらかが死んだとして、僕が彼らに対してとった行動について後悔がゼロかというと嘘になります。
でも、極力後悔しないように接しているつもりです。
今の僕にできる精いっぱいをやっているつもりです。
僕からすれば彼らに対して何かをすることが助けることなのではなく、僕自身がしっかりとした考えを持ち、自立して生きていくことがそうなのだと思えるようになったのは大きいです。

本人たちがどう思っているかはわかりません。
口には出さないけど本当はお金も入れてほしいだろうし、家事ももっとやってほしいでしょう。

でもそれは僕の課題じゃありません。
僕が年収1000万でも稼げるようになれば話は別ですが、今のところそんな予定もありません。

多分以前の「感じやすい僕」(変な意味じゃないよ)だったら、そこで何もできない自分に対してすごく責めただろうし、酷く落ち込んでいたでしょう。

そういった悲しみとかつらさとか無力感を感じずに、今の自分に何ができるのかを考え、その結果について感じたことをまた未来に活かしていく。

そう思うことが今の僕にとって人生においてタフな状況を乗り越えるためのマインドセットなわけであります。

だから「Don't feel, think, and then feel」なんです。
これが今の僕にとって割と結構重要な事。

時にはサイコパス並みの冷徹さも持てたらいいんだけどなあ。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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