べたれば

better late than never→略してべたれば。遅くてもやらないよりマシ。元ひきこもりの雑記。

ありがとうを忘れた人に幸せは来ない。

ありがとうを忘れた人に幸せは来ないと、かの倉橋ヨエコ嬢は歌ったわけである。

しかし、憎まれっ子世に憚るとの言葉の示す通り、ありがとうすら言えない格好の悪い大人たちが世を席巻し幅をきかせているのも悲しいかな現実。

 

幸いにして僕はそういった情けない大人の被害に会う機会は、今の職場ではない。「今のところは」という注釈付きで。

 

同僚がひとり辞めた。
彼は毎日のように上司にチクチクねちねち、粘着セロハンテープのように上司からみんなの前で小言を言われ続けていた。
それも大の大人が寄ってたかって彼一人のことをいびるわけである。

いびると言っても確かに彼にも原因があったのかも知れない。
彼の仕事ぶりに関していい噂を聞いたことはない。
僕の目から見ても(自分のことは棚に上げるが)、少なくとも要領がいい類の人間には見えなかった。
でも優しくて笑顔の素敵な好青年だった。
あまり話したことはないけれど、少なからず僕は彼に好感を持っていた。

その彼が辞めて、彼の役割を担うようになったのは、僕と同じ会社から派遣されてきている先輩だ。
今度は彼が集中砲火を浴びるようになった。

ここ数日表情に生気がない。

 

助けてあげたいのだけれど、僕がそこにどこまで首を突っ込んでいいものかもわからない。例え突っ込んだところで、何もできないのも目に見えている。
僕は僕で卑怯者だから、自分の負担を増やしたくないという気持ちも少なからずある。
今の生活リズムをできることなら崩したくはない。

しかし、同じ境遇に立たされたならやはり誰かの救いを求めることだろう。
それでもなかなか踏み込めない臆病な自分を情けないと思う。
傍観者を決め込むのはとても楽だし、簡単なことだ。

かと言って「できることがあれば言ってください」と言っておきながら、何もしないのも無責任この上ない。
どう言葉をかけていいのかわからない。

 

とりあえず「大丈夫ですか、無理しすぎないでください」とだけ、ラインを送った。
余計なお世話かも知れないけれど、これが今の僕にできる精いっぱいだ。

 

「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない人間に、社会人としての常識を説く資格はない。その前にまず彼らは、人間としての常識を学び、恥を知って然るべきだ。