べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

定量的に物事を捉えることの難しさ

f:id:JohnRTylor:20180930024906j:plain

この前書いた記事でちょろっと言及した、ぐわぐわ団さんがお返事のような記事を書いてくださいました。

www.johnrtylor.com

 

書いてくださった記事↓

www.gw2.biz

 

ご本人の言葉を借りれば、めっちょこ嬉しいのです。

普段抱えている仕事のストレスとか、貧困に苦しむ子供たちとか、家庭の借金問題とか、大気汚染とか、地球温暖化とか、オゾンホールの破壊とか、北朝鮮の非核化とかLGBTの生産性とか、マイクロプラスチックとか、稀勢の里の進退についてとか、そういったもんにょりとしたなんやかやを忘れさせてくれる時間を提供してくれていることにとても感謝しているのです。

 

んで、ご本人が、僕が書いた「ぐわぐわ団に少しだけハマっている」の「少しだけ」について少しだけ気になさっていたようなので、それについて少しだけ考えてみた。

 

僕は物事を定量的に捉えることが苦手だ。

まず始めにそれが「絶対量」なのか「相対量」なのであるかを考えなくてはなりますまい。それによって同じ量でも意味合いが全く異なってくるからだ。

 

僕はその「少しだけ」を「絶対量」という意味合いにおいて用いた。

つまり、判断の基準は「僕」なのである。

他の誰とも比較せずに、「僕」がどれくらいぐわぐわ団にハマっているかを僕の主観という観点において「少しだけ」という言葉を当て嵌めた。

 

確かに「めちゃくちゃ」ハマっているわけではない。

もし僕が朝も夜も健やかなるときも病めるときも足の親指の毛を数えている時も、ベランダでスカラー波を傍受しようとやっきになっているときも、常にぐわぐわ団のことばかり考えていて、生涯の伴侶として愛を誓いたいほどだというのであれば、それは「めちゃくちゃ」に相当する。

でも、そうではない。

 

では本当に「少しだけ」なのか検証してみたい。

僕がいつ、どのくらいの頻度でぐわぐわ団さんにお邪魔しているかを考えてみよう。

便宜上、サイトに訪れることを勝手ながら「ぐわる」と名づける。

ぐわった回数を「1ぐわぐわ」とする。

ぐわる人のことを「ぐわるでぃおら」としよう。

それでは検証スタート。

 

 

朝起きて、コーヒーを淹れ、出来上がるまでの間にスマホをいじる。

そこで自身のブログのPVを確認する。

そのついでで新しい記事が上がっていればぐわる。

1ぐわぐわ。

 

行きと帰りの電車の中で手持ち無沙汰になった時に何となくスマホをいじる。

ぐわる。行きと帰りでそれぞれ1ぐわぐわ、計2ぐわぐわ。

 

職場に着いて、一服。昼食前に一服。昼食後に一服。3時のおやつに一服。終業後に一服。

それぞれ1ぐわぐわずつ、計5ぐわぐわ。

 

帰宅し一服。ぐわる。1ぐわぐわ。

こんなもんだろうか。

 

全部合わせると…

 

ぐわ…    ぐわ…    ぐわ…

   ぐわ…    ぐわ…

ぐわ…   ぐわ…    ぐわ…

   ざわ…     ぐわ…

 

9ぐわぐわ

 

うーん、多いのか少ないのかイマイチよくわからん(笑)

でも意外とぐわってるので、「少しだけ」ではなく「それなりに」くらいに訂正しておきましょう。

 

どうやら、一服しているときにぐわっている傾向が多いようですね。

ということは、僕が煙草を吸わなくなったらぐわる回数もめっきょり減るわけですな。

なんで、一服中が多いかというと、たばこ1本吸う間にちょうど1記事読めるお手軽さがいいのよ。

それでいて大して何も考えずに読めるから頭からっぽにできるところがまたよい。(母語がフランス語なのに頑張って日本語で書いてくれている人に対して、こういう言い方は失礼かもしれませんが)

 

ということで、政府がもしぐわぐわ団の発展を望むのであればたばこの増税はすべきではないという結論に達したところで、本日の検証を締めくくりたいと思います。

これからも、いち、ぐわるでぃおらとして今後のサッカー界の発展と成功に貢献していきたいと思います。

敬意をこめて、合掌。

Copyright Ⓒべたれば All Rights Reserved.