べたれば

better late than never→略してべたれば。5年間引きこもった末にようやく社会復帰した発達障害(ADHD)持ち。「遅くても何もやらないよりマシ」をモットーに、社会復帰までの経緯や興味関心、今考えていることなどを書いていきます。

翻訳者、翻訳家を目指そうか、どうしようか

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翻訳者(家)という職業に興味がある。

 

煩わしい人間関係から身を引きたくて、よくネット上を彷徨うのだけれども、そこに高確率で挙がる職業が翻訳者(家)だ。

連日のように紹介している「村上さんのところ」に寄せられた読者からの質問にもこうあった。(長いけど端折るべき部分がほとんどないと感じたので、ほぼそのまま引用する)

 Q.『アフターダーク』でマリが言う、次のセリフを読んだ時に、あまりにも私が思っていることそのもので、マリが大好きになってしまいました。
「個人で翻訳か通訳の仕事みたいなのをやりたいって思ってるんです。会社勤めには向かないみたいだから。」
『アフターダーク』が出版された頃、私はちょうど、同じように考えて個人で翻訳の仕事を始めたところでした。個人で働くのは大変なこともありましたが、それまでの苦労に比べれば何でもありませんでした。ただ、ここに至るまでは大学院に行ってみたり、会社に勤めてみたり、いろいろとありました。
会社や大学など、組織の中で他人と共に働くことは自分には向いていません。そのことにはなんとなく気付いていたのですが、10代の頃の私には「個人で働く」という選択肢はまったく見えませんでした。内向的な性格で人付き合いは苦手でしたが、それは努力で乗り越えられることであり、乗り越えるべきことだと信じていました。親や教師もそう求めてきました。それで、組織の中で自分の能力を発揮できるよう努力してきましたが、常に自分が自分ではないように感じていました。また、外向的な人と自分を比較して、自分はダメな人間だと悲しく思っていました。いろいろあった末、外向的な人から自分の内向性を批判されたりもして心底疲れてしまい、自分が幸せに生きられる方法は他にあるのではないかと考えた結果、個人で働くという選択肢に辿り着きました。
自分もマリのように10代の頃にそう考えていれば、嫌な思いをしなくて済んだのにと思います。今でも、過去のことを考えるととても悲しく悔しい気持ちになります。ただ、嫌な思いをしながらも自分には向かない環境で努力したことは、自分の人生の糧になっているとは思うのですが。
私は長い間、外向的にならなければというプレッシャーを感じ、努力してきましたが、達成することはできませんでした。ある時点で「私は私の生きたいように生きればいいのだ」と開き直り、個人で仕事を始め、ほとんど猫としか会話をしない生活に入ってからは、それまで感じていたストレスが嘘のように消えて、毎日楽しく生きています。(後略)
(匿名希望、女性、38歳、自営業)

 

A.あなたのように、組織の中でうまくやっていくことのできないかた、あるいはなんとかやってはいけるけれど疲れ果ててしまったというかたから、多くのメールがこのサイトに寄せられています。あなたの場合はその問題をうまく解消できたみたいで、よかったと思います。もちろん翻訳という専門技能を持っておられたからできたことでしょうが、あなたの報告が多くの人にとって何かの参考になるかもしれません。(後略)

 

この質問者の方が感じていることは、まさに僕がこれまでの人生の中で常に抱えてきたものだし、同じような心境で生きてきた人がこのようにストレスのない人生を実現しているということにとても勇気づけられたのである。

ほとんど猫としか会話をしなくても幸せ。なんて素敵なんだろう。

村上氏も「あなたの報告が多くの人にとって何かの参考になるかもしれません。」と返しているように、僕にとってはめちゃくちゃ参考になった。

そこで単純な僕は「翻訳業っていいな」と感化されたわけである。

 

実のところ、ひきこもり時代にも趣味で英語を勉強していたということもあって、バイトを始める前にも翻訳業というのは選択肢にはあったのだが、なにせ収入を得られるようになるまで、長い時間を要しそうだったので手っ取り早くお金を稼ぐべくまずは簡単なアルバイトから始めたのである。
この選択は今も間違っていたとは思わない。
そのお陰で免許も取れたし就職にも成功(?)した。

しかし、まだ就職してたったの、たっっっっっっっっっっっったの8か月余りだが、最早人間関係に辟易してしまった。

そんな時にふと手に取った「村上さんのところ」に上記のようなことが綴られていたもんだから、翻訳でメシを食うということに改めて興味が湧いたのである。

 

村上さんのところ (新潮文庫)

村上さんのところ (新潮文庫)

 

 

翻訳の世界では「翻訳者」と「翻訳家」は区別されている。

産業翻訳と言って、文書やマニュアル、仕様書などのものを翻訳するのが「翻訳者」。

翻訳業界に携わる人たちの実に9割ほどを占めるらしい。

「翻訳家」というのは、本などの出版物だったり、洋画の字幕などを充てる人たちのことで、こちらの方がみなさんも一般的なイメージとして思い浮かべやすいのではないだろうか。
自分が関わった出版物がベストセラーになれば、印税で大儲けすることもできるらしいが、昨今の読書文化の衰退からそううまい話は転がっていないそうだ。しかしながら、やはり「翻訳者」に比べると平均的な年収は高くなる傾向にある。

しかし専門的な知識や確固たる実績が求められるため、その門戸は非常に固く狭いのである。

 

僕は別段どちらになりたいというものはない。(というか翻訳「家」にはなりたくても、なるには相当の運と努力が強いられるだろう)

ただ、人と必要最低限しか関わらずに、自分の興味ある物事に心血を注げるものは何だろうかと考えた結果、選択肢の一つとしてとても魅力的だと感じたからだ。

それこそ年間300万くらい稼げればいいと思っている。(それでも大変かも知れないけれど。言うは易く行うは難し。)

 

英語の勉強も文章を書くことも好きだし、様々な世界の知見に触れることができる。

何よりも煩わしい人間関係から解放されるというところにものすごく大きな魅力を感じる。というかそれが最たる理由だ(笑)

こんにちは、猫としか会話しない生活。さようなら、組織、そして人間関係。
そのためにはいかなる努力も惜しまない所存にございます。(ごめん、さすがに大言壮語が過ぎるな。まあ、そう言わしめてしまうほどに、組織に属して人間関係を構築することが僕にとってクソだということです。)

 

当然、なりたいからといって「はい、どうぞ」と簡単になれるものではないだろう。
これについては真剣に考えなくてはならない。

それと、本当にどこまで人間関係がなくなるのかというのも、慎重に精査していかなくてはならないだろう。

目指すにしてもどのようなスタンスを以て道を歩むべきか。

今の仕事を続けながら目指せるのか、無理ならどうするべきか、1日に最低何時間勉強するべきか、Fラン大学中退の僕がこの歳で翻訳者(家)を目指すということがどこまで現実的なのか、ましてやTOEIC(785点)や英検(3級)もとても中途半端なのに。

これからの業界の展望も視野に入れなくてはならない。
機械翻訳の発展が著しい中、食いっぱぐれる心配はないのかどうなのか、そのために身に付けておくべきスキルは何なのか。

 

まだ真剣に目指すと決めたわけじゃないけど、目指すにしても何をするべきなのかいろいろと調べる必要がありそうだ。

とりわけ、選択肢としては魅力的だということに変わりはない。

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