べたれば

better late than never→略してべたれば。遅くてもやらないよりマシ。元ひきこもりの雑記。

「なんとかなる」よりも「なるようにしかならない」と諦めること

大人になれない僕ちんは昨日の一件を未だに引きずっており、何もする気が起きないので文をしたためます。それくらいの元気(?)はあります。

 

www.johnrtylor.com

 

 

 

そんなことはさておき、

近頃の僕は、いささか意図的に発達障害ネタを封印していたきらいがあるのですが、その理由は以下の記事↓がわりに如実に言い表してくれています。

nikov.hatenablog.com

 

僕はADHDだと診断されてストラテラも毎日80mg飲んでいるのだけれど、近頃発達障害かどうかのボーダーを引くことがいかに無意味な事かと感じられるようになったというのは大きい。

結局世の中とどのように距離をとっていくのかということが大切なのよね。

僕は良い意味でいろんなことに諦めがついた。

出来なくたっていいじゃない。
頑張らなくたっていいじゃない。
人と同じじゃなくたっていいじゃない。

もちろん出来なかったり頑張らなかったり同じじゃなかったりすると、つまみ出されたりはじき出されたりする世の中だけど、人生なるようにしかならんのだと諦めることができた。

目の前にある選択肢の全てがクソでもその中から一番マシなクソを選ぶしかないんだと。

 

もちろん攻撃されたり、蔑まれたり、罵倒されたり、踏みにじられたりするのは御免被りたいものだから、そうならないための最大限の努力というか配慮をしながら神経をやすりで、というかおろし金でゴリゴリ削られながら日々を過ごしていますよ。(マウンティング社会マジで死ねよクソが)

そんな自分さえも許せるようになったというかさ。
主体的で、能動的で、自分の意見を持った人が評価されるのは仕方がないことなんだけれども、そうはなれない、変われない自分のことを必要以上に責めなくなった。

これほんと大事。

だから自分が発達障害でもいいじゃないか、むしろ上に紹介した記事にあるように得手不得手は誰にだってあるものだし、結局は社会に適応できているかどうかでそのボーダーが右にも左にも、上にも下にも、前にも後ろにも移動するというだけというかさ。

僕に当てはめて言えば、自分を取り巻く環境に対して適応していくために、診断と薬が必要だったというだけの話で。

 

だから自分がADHDだと診断を受けたことに対して全く引け目を感じなくなってきた。
だからツイッターでもブログでも発達障害ネタが減った。

発達障害だから「あれもできない、これもできない」そんなこと考えているよりも、僕という人間が「あれをしたい、こうなりたい」と考える方がより有意義だし楽しいんだということに最近はようやく気付けた。

すごいポジティブなこと言ってる気がするし、それが長続きするとは思わない。ふと明日にはまた人生はクソだゴミだとまた叫び散らすかも知れないけど。

というか常にそれは思いながら生きているんだけれど笑

 

まあ大事なのは自分のことを責めないこと。

周りから責められて自分自身が一緒になって責めてたら、どこにも味方なんていなくなってしまうのだから。自分だけは自分の味方でいてやらなくては。

常に死ぬことばかり考えながら日々を送ることもあるけれど(今もそうっちゃそうだし)、「なんとかなるさ」というよりかは「なるようにしかならん」と諦められるということはとても大切なことだと思います。

そう思いながらも、できる努力は極力怠らずに歳を重ねていきたいと思うのであります。